卵油の歴史は400年以上
著名な文献にも紹介されている卵油
「本草綱目(ほんぞうこうもく)」や「病家須知(びょうかすち)」といった文献にも記載があるほど古くから利用されていました。大正時代に書かれた「家庭に於ける実際的看護の秘訣」(通称赤本)には「飲んで心臓の薬、付けて痔の薬」として紹介され、一般家庭でも馴染みのあるものになりました。
本草綱目(約400年前)の記載
卵油の紀元は平安時代とも奈良時代ともいわれ、中国、明の時代の「本草綱目」(1596年頃刊行された中国や日本の伝統的な薬物学、和漢薬を記した書物)に卵油の記載があり、長い歴史をもっています。
江戸時代には、第11代将軍の徳川家斉が大奥に伝わる秘薬「卵の精(=卵油)」を飲んで55人もの子宝に恵まれました。また、我が国初の養生・療養・介護・助産の書「病家須知(びょうかすち)」(1832年天保3年)にも、卵油の利用法が記されています。(文献はこちら→)
赤本の民間療法(大正〜昭和)
大正14年に刊行された「家庭に於ける実際的看護の秘訣」(通称赤本)に、医学博士による卵油の臨床実験結果が掲載されています。この赤本は1000万部を超えるベストセラーで「飲んで心臓の薬、付けて痔の薬」として広く知れ渡るようになりました。
しかし当時は、卵油の原料となる卵はお見舞いに使われていたほど高価で貴重なもの。あるご老人から聞いた話では、卵油一升と家一軒が同じ価値であったとか。それでも、結核・火傷・心臓病などに効果があるものとして受け継がれてきました。(文献はこちら→)
伝統の卵油健康法を次の世代へ
戦後、アメリカ文化の流入に伴い、東洋医学一般などと共に卵油も迷信とかたづけられ人々の記憶からも消えかけていました。
しかし、その後に伝統的な古き良きものを見直す動きが広がっていきました。鍼灸などの東洋医学と共に、民間療法のひとつであった卵油のすばらしさが再確認されるようになったのです。
卵油を求める人達のために、各地で製造販売もされるようになりました。その反面、現代の住宅事情では家庭で作るということが難しくなりつつあります。
そんな中、日本の伝統文化の一つとして、家庭で卵油作りをする技術を後世へ語り継ごうという取り組みも行われています。
(卵油作り方教室はこちら→)